宿邪概論

    執筆中です。

漢方薬局 深谷薬局養心堂

はじめに

中医学は今から2000年以上の歴史がある。
ただ、その進歩はきわめて緩慢だと言える。
勿論、中医学に限らず、現代社会と違って昔はいろいろな事の進歩は遅かったと思う。
それを差し引いても、中医学の進歩は極めて緩慢だ。
その中で一番の原因は「伝統を重んじる姿勢」がある。
中医学の勉強の姿勢として、新しい事を考え出すより、今まで過去に蓄積された経験、理論などを繰り返し勉強する事が大切とされて来た。
勿論、それはどんな学問にも言える事だ。
ただ、中医学は必要以上にそれが重視されて来たように思う。
経験をつんだ中医師を老中医というが、老中医になるためには、40年くらいかかる。
そうすると60才を過ぎてからやっと老中医になれる。
それまでは下積み生活がつづく。
ある中国人女性が「私は中医学は好きだけども中医師にはならない。母に反対されたから。あまりに下積みが長く、日の目を見る時間はわずかだから。」
中国の伝統医学は簡単には入門させてくれない。
私は中国人ではないので、おそらく中国にいる中医師よりは少し自由に中医学を考える事ができていると思う。
後漢の時代に傷寒論という大作が著され、その理論は今でも大切に受け継がれている。
それは大変に素晴らしい事だと思い。
ただ、あまりにも大切にされすぎて、新しい理論を受け入れる体制ができにくかった。
傷寒の理論に続く温病の理論が考え出されるまで1500年もかかった。
その1500年の間にどれだけ沢山の人が温病、疫病で亡くなっていったかと考えると、温病の理論はあと1000年速く生まれるべきだったと思う。
それを阻んだのは傷寒論があまりにも大作だったため、神格化されバイブルのようになってしまった事だ。
もし傷寒論の中におかしな記述があったとしても、それは傷寒論そのものの間違いではなく、後に誰かが書き換えたのだと解釈する。
それくらい傷寒論は絶対的なものなのだ。
しかし、私はあえて言いたい。
傷寒論がどんなに素晴らしいものでも、すべての病気を治す事は出来なかった。
温病の理論はもっと速く考え出されるべきだった、そうすれば沢山の命を救う事が出来たはずだ。
中医学は理論ではなく、人を救うための道具だ。
道具は使いにくい場合はどんどんと改善する事が必要だ。

新しい理論を粗製乱造する事は好ましく無いのは当然の事だ。
しかし、それを生まない土壌を作ってしまうのは更に良くない事だと思う。
だからこそ、あえてここに宿邪の理論を考えてみたい。



病気が起こる中医学的メカニズム

中医学は昔の医学である。
基本的な考え方は実にシンプルで、すべての病気は邪気と正気の戦いと考えている。
要するに敵と味方が戦っている状態が病気だ。
敵が強ければ、どんどんと病気が進むし、味方がつよければ回復に向かう。
勿論、ただやみくもに敵に立ち向かうのではなく、作戦が必要だ。
この作戦を考えていくのが中医学という学問だと言える。
つまり中医学は、兵法なのだ。

敵は外からやってくる外邪というものと、味方の中から出てくる内邪というものがある。
体は外邪が入らないように防衛している。
この働きは衛気という。まさに防衛の意味だ。
侵入されてしまった場合は、外に追い出す。
追い出す場合は、出口に誘導する。
出口は、鼻、目、口、皮膚、尿、便などだ。
中医学は鼻水、涙、嘔吐、汗、尿、便などから邪気を排出すると考えている。
基本的には、一番近い出口から追い出そうとする。
体表の邪気は汗、胃の邪気は嘔吐、腸の邪気は便などだ。
嘔吐や下痢なども正常な防衛反応と考えて、必要以上に止めない方が言いと考える。
ただ、あまりにも激しい嘔吐や下痢は体力の消耗や脱水などの問題があるので、その場合は止めた方が良いだろう。
追い出しできなかった外邪はやっつける。
それを解毒という。
激しい戦いは、熱をおびる。
火薬や爆弾などを使用する。
そうすると体が熱によってダメージをうける。
その場合は清熱する。
次に内邪だ。
内邪はかならずしも裏切り者だけではなく、味方が正常に機能しない場合も含む。
例えば、交通が渋滞しているような場合だ。
川がつまり洪水がおこるような場合だ。
うっかり火事をおこしてしまった場合だ。
この場合は内邪が発生する原因をしっかり考える必要がある。
血の汚れを瘀血というが、瘀血があるから瘀血を治療するのは当然だ。
しかし、なぜ瘀血が出来たかという事を考えないと、一旦綺麗にした瘀血はまた生まれてくる。
川を広げ、まっすぐにして、堤防をしっかりしないと何回も洪水がおこる。

昔の人は現代医学的な生理学とか病理学の知識はなかった。
だから、上記のたとえの様に、体を一つの自然界、人間界に例えて考えていた。
現代医学的には正しくないかも知れない。
しかし、何千年ものあいだ、漢方は使われ続け、正しい理論は生き残り、正しくない理論は淘汰されていった。
中医学には動物実験的なエビデンスはない。
あったとしてもエビデンスを追求するようになれば、もはやそれは中医学とは言えない。